クラブ沿革

鹿児島ロータリークラブの歩み

鹿児島で初めて誕生したロータリークラブとなる、鹿児島ロータリークラブ。
当クラブの歩みをご紹介します。

1.胎動から誕生まで

鹿児島ロータリークラブ(The Rotary Club of Kagoshima)は1952年(昭和27年)10月10日、国際ロータリー加盟前の創立会員となるチャーターメンバー26名で、福岡ロータリークラブをスポンサークラブとして、九州で11番目、全国で89番目に創立され、その3ケ月後の1953年(昭和28年)1月16日に国際ロータリー (Rotary International:RI)加盟承認を受けました。

創立半年前の4月28日に日米講和条約が発効し、独立を回復し、朝鮮戦争も終息の兆しを見せ、社会も落ち着き、産業活動も活発になり、我が国が新たな希望に向かって立ち上がるときに、友愛・奉仕の理想を示すロータリーの灯が、当時の日本列島最南端・鹿児島にも点されました。

時を遡ること1905年(明治38年)2月23日、青年弁護士ポールP.ハリス(Paul Percy Harrls)によって、ビジネスと専門職の市民奉仕クラブ(Civilian Service Club)ひとつであるRotary Club Chicagoが、シカゴに設立されました。
その後、他の都市へ広がり、1910年(明治43年)全米ロータリークラブ連合会(National Association of Rotary Club)へ発展しました。
1912年(大正元年)には、国際ロータリークラブ連合会(International Association of Rotary Club)に改称。
さらに、多くの国に支部が創設され、1922年(大正11年)に国際ロータリー(Rotary International:RI)と改名されました。
ロータリーの名は、互いの事務所を回り持ちで、会合を開いたことに由来しています。

ちなみに、日本人初のロータリアンは、1915年(大正4年)、ダラス・クラブのadditional memberとなった福島喜三次氏で、日本初のRC(東京RC:Rotary Club of Tokyo)はチャーターメンバー25名で1920年(大正9年)10月10日に設立され、1921年(大正10年)4月1日認証されています。

鹿児島では1950年(昭和25年)頃になると、鹿児島クラブ創立の気運が芽生え、当時、各地で年々増えていたロータリアンたちは、メークアップ(欠席補填)できる都市への訪問を好み、また、東京在住の県出身財界人は、帰省時のメークアップのためにも、鹿児島にクラブ創立を望まれるようになりました。

また、日本人渡航者が増え始めた米国ではロータリアンが社会的に信頼されつつある時期でもありました。
このように、グローバルな人的・文化的交流が活発化しようとするときに、鹿児島にもクラブ誕生が待望されたのです。

1950年(昭和25年)春頃、前任地の札幌でロータリアンを経験した鍵山寛日本銀行鹿児島支店長は、加藤寛一日本銀行福岡支店長の勧めもあり、クラブ創立を色々な機関に説きましたが、創立準備が緒につく頃、東京に転勤となりました。

その後の創立事務は鹿児島商工会議所が当たり、勝田信鹿児島銀行頭取がクラブ初代会長就任を内諾し、福岡クラブ事務局長の来援を得て、勝田信頭取、岩元修一山形屋社長、田辺健吉新生工業会長、畠中季隆南日本新聞社社長、鍵山寛日本銀行鹿児島支店長(チャーターメンバー勝田正之氏の前任者)、勝田正之日本銀行鹿児島支店長、伊集院兼隆商工会議所専務理事が参集し、規約草案と会員募集に着手しました。

このようにして、チャーターメンバー(創立会員)として26名が決まり、1952年(昭和27年)10月10日に鹿児島ロータリークラブ( The Rotary Club of Kagoshima)は創立される運びとなったのです。

>>栄えあるチャーターナイト