ロータリーの誕生と成長

ロータリーの誕生とその成長

20世紀初頭のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の陰で、商業道徳の欠如が目につくようになっていました。

ちょうどそのころ、ここに事務所を構えていた青年弁護士ポール・ハリスは、この風潮に堪えかね、友人3人と語りあって「お互いに信頼のできる公正な取引をし、仕事上の付き合いがそのまま親友関係にまで発展するような仲間を増やしたい。」という趣旨でロータリークラブという会合を考えました。
ロータリーとは集会を各自の事務所持ち回りで順番に開くことから名づけられたものです。

こうして1905年(明治38年)2月23日に、シカゴロータリークラブが誕生しました。
それからは、志を同じくするクラブが、つぎつぎ各地に生まれて、国境を超え、今では200以上の国と地域に広がり、クラブ数36,426、会員総数1,178,107人(2021年1月18日RI(国際ロータリー)公式発表)に達しています。

そして、これら世界中のクラブの連合体を国際ロータリーと称します。

このように、歴史的に見ても、ロータリーとは職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなのです。
その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、ロータリーは世界に眼を開いて、幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面にわたって、多大の貢献をしています。

日本のロータリー

わが国最初のロータリークラブは1920年(大正9年)10月20日に創立された東京ロータリークラブで、翌1921年(大正10年)4月1日に、世界で855番目のクラブとして、国際ロータリーに加盟が承認されました。

日本でのロータリークラブ設立については、ポール・ハリスの片腕としてロータリーの組織をつくり、海外拡大に情熱的に取り組んだ初代事務総長チェスリー・ペリーと、創立の準備に奔走した米山梅吉、 福島喜三次などの先達の功を忘れることができません。

米山梅吉氏

その後、日本のロータリーは、第2次世界大戦の波に洗われて、1940年(昭和15年)に国際ロータリーから脱退します。
戦後1949年(昭和24年)3月になって、再び復帰加盟しますが、この時、 復帰に尽力してくれたのが国際ロータリーの第3代事務総長ジョージ・ミーンズでした。

その後の日本におけるロータリーの拡大発展は目覚ましいものがあります。
ロータリー財団への貢献も抜群で、今や国際ロータリーにおける日本の地位は不動のものになりました。
現在、日本全体でのクラブ数は2,237、会員数86,176人(2020年12月末現在)となっています。